松阪城 登城
松阪城は四五百森(よいほのもり)の丘陵を利用して築かれた平山城で、城址は日本百名城、日本歴史公園百選に指定されています。
松阪城 登城
松阪城の縄張り(設計図)は北が城の中核部で、南が城を守る鎮守神を祀る八幡宮です。両丘の周辺が三の丸です。北丘は本丸を中心に東側が二の丸、西側がきたい丸、南側が隠居丸となっています。

裏門側から登城しました。

御城番屋敷、お城を警護する紀州徳川家の武士20名が住んでいた武家屋敷です。文久3年(1863)建てられたもので、現在でも人が住んでいます。国指定重要文化財です。

裏門左手には旧櫛田川渡し場常夜灯と、旧伊勢街道常夜灯が並んで建っています。
旧櫛田川渡し場常夜灯は江戸の干鰯問屋仲間が安永9年(1780)に寄進したもので、伊勢街道筋の早馬瀬河原にあったものを、昭和29年(1954)移設したものだそうです。
その隣の旧伊勢街道常夜灯は津の新玉講(参宮講)が文政6年(1823)に寄進した常夜灯です。津の藤枝町にあったものを、昭和初期に移したものです。

蒲生氏郷が築城した時代、天正16年(1588)の石垣、野面積み、阪内川流域の自然石をつかっています。400年の時を経てもしっかり残っています。
氏郷は石垣普請に近江の国から石積みのプロである穴太衆(あのうしゅう)を呼び寄せたそうです。穴太衆は安土城や彦根城の石垣を積んだことでも有名でした。
築城と同時に城下町建設にも力を注ぎ、天正11年(1583)「町中掟」を定め、松ヶ島の町人を強制的に移住させ、楽市楽座を布いて商品の移動を自由にしました。

また近江日野商人や伊勢大湊商人を招致し、後の江戸で活躍した松阪商人の基盤をつくりました。三井家発祥の地です。
天正18年(1590)蒲生氏郷は小田原合戦の功により、会津に国替えになると天正19年(1591)服部一忠が入封します。文禄4年(1595)一忠は関白秀次逆心事件に連座して改易となりました。
文禄4年(1595)古田重勝が入封し、松阪城を再建しました。元和5年(1619)大阪夏の陣の功により石見国浜田(島根県浜田市)に国替えになりました。
同年8月徳川家康の子頼宣が和歌山に国替えになると、松阪もその統治下になり明治4年(1871)廃藩置県まで紀州藩勢州領18万石でした。
江戸時代に積まれた高石垣。打ち込みハギ、算木積みの石垣が見事に残っています。石垣には古墳石室の石材や石棺、宝篋印塔の部材も使われているそうです。

表門跡、本瓦葺2階建ての本格的な櫓門だったそうですが、明治初期に壊してしまったそうです。

表門にある「松阪城跡」の碑。表千家宗匠千宗室の揮毫によるもの、松阪開府390年記念に昭和53年(1978)に建立されたものです。
松阪城 アクセス
○交通機関
・市街地循環バス(鈴の音バス)で「市民病院」下車、徒歩2分
・JR、近鉄松阪駅から徒歩約15分
・JR、近鉄松阪駅から三交バスで「市民病院前」下車徒歩2分
・JR、近鉄松阪駅からタクシーで約5分